この美術館では江戸時代に使われていた染付けのそば猪口を紹介します。
 当初そば汁を入れるために作られたわけではなく、多くは向付として珍味や和え物などを盛り付けていたと思われます。その器がそば汁を入れるためにも使われるようになりました。そしてそば食が庶民にまで普及すると、この逆台形の器が大量に作られるようになりました。そのころは「猪口(ちょく)」と呼ばれていて、「そば猪口」といわれるようになったのは明治になってからのようです。
 小さな器に描かれた文様の楽しさが際立っていて江戸時代の人々の感性を今日に伝えるものだからこそ、今でも多くの人に感動を与えています。器地の白と呉須の青がくりひろげる粋の世界をお楽しみください。
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11月7日に書籍が発売されました。
絵解き謎解き江戸のそば猪口 岸間健貪 著
江戸のそば猪口と向き合って三十年、魅せられた文様の世界。それは日本の古くからの美意識と江戸の粋がみごとな果を実らせたものだった。だが、今そこからはそば猪口のため息も聞こえてきた……
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悟り絵・判じ文
 この美術館は「江戸の人々との心の交流」を第一の目的としている。となれば、この項目をおいて他にはないと言ってもよいものだ。江戸時代の絵や文様を見るときは油断をしてはいけない。そこにはさまざまな仕掛けが隠されていることが多い。私たちがそれに気付いた時、江戸の人々のにんまりとした顔が浮んでくるようだ。「粋だね」「オツだね」と言われることを喜びとした人々は、小さなそば猪口の文様の中にもこの種の遊びを潜り込ませた。


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割付文様・幾何学文
 「器を飾る」ことに神経を研ぎ澄ました先人達の感性に感動。この小さな曲面に均一に文様を描ききることは至難の業といえる。「職人技」と一言で切り捨ててしまえばそれまでだが、そんな言い方でかたずけられてしまうものではない。それは「現代」が失ってはじめてその尊さをしりつつあるものではないか。ややもすれば硬い印象を受けるはずの幾何学文がここでは少しも冷たい光を放っていないのはなぜだろう。


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植物文様
 なんといっても植物の文様が一番多い。このコレクションでも三分の一を占めている。写実的なものから意匠化したものまで実に多彩だ。その中で具体的に何の草花を描いたのか解らないものが多くある。それは定番の草花を描いているうちに変化し昇華していったものもあれば、いつでも使えるように季節を特定しないようにしたものもある。みごとな意匠化に「現代的でとても江戸時代とは思えない」という感想を良く聞くが、それは失礼だ。それこそが江戸の感性なのだ。


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動物文様
 動物文様といえば十二支がすぐに浮かぶが、そば猪口の文様ではこれを意識したものはあまり例を見ない。中国の陶磁器では動物は吉祥や願いを表す判じ物として描かれたものが多い。もちろんこれを手本にしたものもあるが、江戸時代の動物文様は歌や物語に題材を求めたものをよく見る。定番の組み合わせ文様が数多くある。たとえば「竹に雀」「波に兎」「波に千鳥」「鹿に紅葉」など、これが文様を理解する鍵となる。


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人物文様
 「故事来歴」を知らなければ、その楽しさは半減してしまう。知性を含んだその文様に江戸の庶民の教養の高さを今更ながらに知ることとなる。ぬきんでて多いのが曳舟と雪中筍堀の図だ。江戸の人々の求めていたものが象徴されている。曳舟は日常風景だったが「引く」という言葉に縁起をかついだものだった。雪中筍堀は二十四孝の一人孟宗を題材にしたものだが、親孝行がこの時代の人々が最も大切なことだったのだろう。


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器物文様
 ここには楽しいものや珍しいものが数多く登場する。そのほとんどは吉祥文様だ。その文様に込められた思いを知ることで、この器がどのように使われたのかを想像することが出来る。宝文にはそれぞれ個別に意味があるが、まとめて描かれることが多い。目出度いことには殊のほか欲張りだったのだろう。江戸時代後期になると庶民の間にも文人趣味が広がった。そんなところから生まれ好まれた文様も数多くある。


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自然文様
 自然は恵みをもたらすものであると同時に災害など災いをももたらすものであり畏敬の念をもって相対するものであった。そうした思いが器にも様々な自然をうかびあがらせ憧れや感動が素直に文様化された。しかし幕末期になると量産のなかで文様は固定して同じ顔ばかりに出会うようになった。たとえば「一屋山水図」だ。残念ながらそこにはあの文様の輝きは失せてしまった。


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唐草文様
 江戸の食器はこの唐草文様を抜きに語ることはできないだろう。時には器全面に、或る時は余白を生かして。長い間変わることなく描き続けられたというのは、その人気の程を物語っている。そば猪口では蛸唐草の数が抜きんでている。この不思議な唐草は、その形態により蕨手唐草とか竜唐草などと呼ばれることもあるが一般に蛸唐草として人気を得ている。前中期の縁取りをしてダミで埋めるものから後期の一筆で描いてしまうものまで様々だが、それぞれに味わいがある。


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その他
 文様のバリエーションはひとつの枠では囲いきれないものもある。想像力の豊かさが文様の多様化を生み出だす。私たちの眠りこけた感性を揺さぶるものが次から次へと出てくる。江戸の美意識に接するには固定観念を捨て去り文様を楽しむことだ。例えば半製品がそのまま流通して使われ今日に残っている。それは単にもったいないというようなことでなく、「これはこれで面白い」と笑い飛ばすような文化があったということだ。

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  • 情報誌「リベラルタイム」の、ロマンチックな愚か者というコーナーで取材を受けます。